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異なる図は、異なる結果を意味する

実にリアルな3D体験までできてしまうような、今日のデジタル世界にいると、もうずいぶんと長い間、紙に印字したものしかない時代を過ごしてきたことをつい忘れがちになってしまう。今となっては紙は静的で平坦で、ちょっと劣ったメディアだと思ってしまうけれど、実のところはもう何百年もの間にわたって、紙に書いて、印刷をすることで、信じられないほどの豊かな知識とデータをなんとかその紙に示すことを我々は成し遂げてきたわけである。いま流行りのインタラクティブ・チャートやデータ・ビジュアライゼーション、そしてインフォグラフィクスも、もとは我々が学んできた多くのベスト・プラクティスのもとに成り立っている。過去に作り上げられてきた図とグラフを振り返ることで初めて、我々はその知識を理解することができ、そしてまたそれを新しいメディアに持ち込んでいくことができるのである。

代表的な図やグラフの一部は、難解な表データをよりわかりやすく説明するために生まれたものである。1700年代の後半から1800年代の初頭に生きた、多言語に通じたスコットランド人のウィリアム・プレーフェアは、今日でも同じように使われている図やグラフのほとんどを、たった一人で世界に送り出した人物である。1786年の彼の本、「Commercial and Political Atlas(商業と政治の地図)」のなかで彼は、棒グラフという全く新しく、視覚的な手法を用いて、スコットランドの輸出入量を明快に示したのである。

そして彼は、1801年の本、「Statistical Breviary(統計的な聖務日課書)」の中で、世にも恐ろしい円グラフを世に広めた。 これらの新しい形の図とグラフは、商業的なニーズから生まれたものであったが、時間が経つにつれて、別の者が現れて、人の命を救うために使うようになった。1854年、John Snowは今日では有名な「ロンドンのコレラ地図」を、発症が報告された地域に小さな黒い棒をつけて作成した。徐々に時間が経つに連れ、明らかに発症密度が高い地域がわかるようになり、問題の抑制措置が取ることができた。

時間が経つに連れて、これらの新しい図とグラフの使い手たちは、より大胆かつ実験的になり、そして今日のメディアになるまで押し進めていった。André-Michel Guerry は、地図に何らかの変数に応じて、地図の各々の地域を違う色で塗り分けるというアイデアを最初に世に出した人物である。彼は1829年に、犯罪レベルに応じてフランスの地図の各地区を影付けをして、初めてのコロプレス地図を作成した。今日、これらの地図は、例えば選挙区ごとに誰が誰に投票したかや、富の分布、その他の多くの地理的な要因に結びつく変数を説明するときに使われている。非常にシンプルなアイデアに見えるが、上手に使えるように習熟するのは難しく、またそうでないと、理解しづらいものになってしまう。

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Figure 11. 初期の頃の棒グラフ(William Playfair)
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Figure 12. ロンドンのコレラ地図(John Snow)
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Figure 13. 犯罪レベルを示すフランスのコロプレス地図(André-Michel Guerry)

心あるジャーナリストがビジュアライゼーションを行う上で理解している必要があり、持っているべきツール類は沢山あるが、難しいことに首を突っ込む前に、素晴らしい基礎である、図とグラフを押さえることが重要である。作ろうとするものが何であっても、まずはほんの少数の図とグラフから始める必要がある。こういう基本をしっかりとマスターしたうえで、それらの基礎的な要素を組み合わせた、より複雑なビジュアライゼーションに進んでいくことができるのである。

もっとも基本的な2つのタイプの図表は、棒グラフと折れ線グラフである。この2つは使われ方も非常に似ているものの、その意味合いは互いに大きく異る。例えば、その年の会社の月別の売上を例にしよう。12本の棒が、各月ごとにあがった売上の金額を示している。(Figure 14).

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Figure 14. シンプルな棒グラフはそれぞれ個別のものを表現するのに役立つ。

では、なぜこの場合には折れ線グラフではなくて棒グラフが良いのか見ていこう。折れ線グラフは継続的なデータにとって理想的なグラフである。この売上の数字は、各月の売上の合計であり、継続的なものではない。棒グラフからは、会社が1月に100ドル、そして2月には120ドルの売上を上げたことがわかる。もしこれを折れ線グラフで描いた場合でも、最初の2ヶ月に100ドルと120ドル売り上げたことは同様に示す。しかし、折れ線では15日の時点で110ドル会社が売り上げているように見えてしまう。これは事実ではない。このように、棒グラフは個別に独立して数える単位のもを示すのに役立ち、そして一方で折れ線グラフは気温のような継続的な値を示すのに役立つのである。

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Figure 15. シンプルな折れ線グラフ。継続的な値を示すのに役立つ。

グラフから、8:00の時点で気温は20度であり、9:00の時点では22度であったことがわかる。気温は継続的な値であり、各時点での他の値の合計ではないため、もし折れ線グラフから8:30時点での気温を推測しようとすると、おそらく21度であると推測される。折れ線グラフは各時点での正確な値を指し示すとともに、2つの時点の間の値の推計値も示すのである。

棒グラフと折れ線グラフは両方とも一連の変数を持つものである。(Figure 17)これはそれぞれ違う方法で使える、素晴らしい物語ツールである。それでは3つの拠点がある会社の例を見てみよう。

各月ごとに、各店舗ごとに3つの棒グラフがあり、年間で36本の棒グラフがある。それらを互いに隣同士におくことで、 (Figure 16)どの月に、どの店舗がもっとも稼いだかを瞬時に知ることができる。これは有益な見方であり、興味深い一つのストーリーであるが、同じデータにはもうひとつの隠れたストーリがある。もしこのバーを重ねあわせたら、各月ごとの棒グラフは一本になり、店舗別にどこが最も稼いだのかを見ることはできなくなるが、今度は会社全体としてもっとも稼いだのはどの月かがわかるようになる。

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Figure 16. 棒グラフのグループ。
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Figure 17. 積み上げられた棒グラフ

このどちらも同じ情報の有益な見せ方であるが、同じデータを用いていても2つのストーリーは別である。ジャーナリストとしてデータを扱うにあたってもっとも重要なことは、伝えたいストーリーを選ぶことである。伝えたいことはどの月のビジネスがもっと好調だったかなのか、それともどの店舗が旗艦店であるかなのか?これはひとつの例にすぎないが、この点はデータ・ジャーナリズムが全体を通して本当に重視している点である。遥か先に進んでしまう前に、正しい質問をすることが重要である。ストーリを選ぶことで、どういったビジュアライゼーションを選ぶべきかも見えてくるのである。

棒グラフと折れ線グラフは、どんなデータ・ジャーナリズムにとっても、まさに食事におけるパンとバターのような関係のものである。そこからヒストグラムや、面グラフ、スパークライン、ストリーム・グラフなどに展開していくこともできる。これらは似たような性質を持ちながらも、データ量やデータ・ソース、文章のどの位置にグラフを入れるのかなど僅かな場面の違いよって、適しているものが変わってくるのである。

ジャーナリズムにおいて、最もよく使われる図のひとつに地図がある。時間、量、そして地形は地図に共通したものである。知りたいことはいつも、ある地域と他の地域とでどのくらい差があるのかだったり、データがある地域からから別の地域にどう流れているかだったりする。ジャーナリズムにおけるビジュアライゼーションを行う際に、フロー図とコロプレス図をうまく使えるスキルをもっていると非常に便利である。どのように読者に誤解を与えずに適切に地図を塗り分けるかが鍵である。政治地図であれば、ある地域はいずれかの政党の色で完全に塗られるか無地かのどちらかで、たとえ候補者がたった1%の支持率の差でその地域で勝っているだけだとしてもそのようにするのか一般的である。ただし、必ずしも色付けは二者択一でなされなければならないわけではなく、注意すればグループごとに階調別に塗り分けたりすることもできる。地図を理解することはジャーナリズムにおいて大きな部分を占める。いわゆる5Wの疑問のうち、WHERE<どこ?>という疑問に対して、地図は端的に解答をくれるのである。

基本の図とグラフをマスターしたら、もっと手が込んだデータビジュアライゼーションを作ることもできるようになる。ただ、もし基本をきちんと理解していないと、不安定な土台に建物を建てることになってしまう。いい書き手になるために学んできたこと、例えば文を短くする、常に読み手を意識する、自分を賢く見せるために必要以上に難しくしたりせず、意味を読み手に伝えることに重きをおくこと。そういった事柄から逸脱しないことは、データに関しても同じである。物語を伝える上で、もっとも効率的な方法はまずは小さく始めることである。そして、必要に応じてゆっくり付け足して行けばいいのである。

良い文章とは簡潔なものである。不必要な言葉を文章は含むべきではなく、不必要な文章を段落は含むべきではなく、同様に絵画には不必要な線はあるべきではなく、機械には不必要な部品はあるべきではない。ただしこれは書き手はすべての文章を短くしなければならないということでも無ければ、はすべての詳細を省いたり、すべてのテーマについて概要のみ取り扱うように、ということではない。すべての言葉は何かを伝えるためのものでなくてはならない、ということである。

— William Strunk Jr.
Elements of Style(表現方法の要素) (1918)

すべてのデータをストーリの中に入れ込む必要があるけわではない。簡潔にすることに対して許可を求めるようなことは必要なく、それはあくまでルールとしてあるべきことである。

Brian Suda, (optional.is)