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コードとして生まれるストーリー

OpenDataCity は2010年の終わりに設立された。この時期にドイツにおいてデータジャーナリズムと呼べるようなものはほとんど存在しなかった。

それではなぜ私たちはデータジャーナリズムを始めたのか?答えは当時、何度も私たちは新聞社や放送局で働く人たちから聞かされてきたことにある。それは「まだ私たちは編集局でデータジャーナリズムユニットに専念し始める準備ができてないんだ。でもこれを外部委託できればハッピーになれるだろうね。」というような話であった。

私たちの知る限りでは、我々はドイツにおいてもっぱらデータジャーナリズムだけに特化している唯一の会社である。現在、3人で活動をしていて、2人はジャーナリズムのバックグラウンドを持っており、もう1人はコードと可視化を深く理解しているメンバーで構成されている。また、私たちは少人数のフリーランスハッカーやデザイナー、そしてジャーナリストと活動を共にしている。

直近12ヶ月間、我々は新聞社との4つのデータジャーナリズム·プロジェクトを請け負ってきた。また、メディアで働く人々、科学者、ジャーナリズムの学校に研修とコンサルティングも提供してきました。我々が作った最初のアプリはベルリンで新しく建設された空港近くの 空港騒音に関するインタラクティブなツールで、これは日刊紙TAZとともに製作した。次に注目すべき私たちのプロジェクトはZEITオンラインと協力して、あるドイツの政治家の携帯電話の使用履歴の データ保持に関するアプリケーション開発であった。この調査で、我々は Grimme Online Award とドイツのLead Award、米国でのオンラインジャーナリズムアワード Online Journalism Association を受賞した。この文書を書いている時点で、我々は単純なインタラクティブなインフォグラフィックから、一種のデータジャーナリズムミドルウェアのようなものの設計と開発に至るまで、複数のプロジェクトが進行中である。

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Figure 13. Airport noise map (Taz.de)

もちろん、賞を受賞すると、評判を積み上げることができる。だが賞を勝ち取るためにデータ・ジャーナリズムへの投資をしてもらうのではないと、プロジェクトを承認するパブリッシャーに話をする。むしろそれは、持続可能な方法で長期間にわたって注目を得ることである。長期間のインパクトを作り上げていく試みであり、スクープのように数日後に忘れられてしまうようなものではない。

ここでは、我々がパブリッシャーに長期間のプロジェクトに取り組むよう促すのに使った3つの論拠をあげよう。

データプロジェクトは古臭くならない

プロジェクトの設計によるものの、データジャーナリズムのアプリには新しい材料を追加することができる。そしてこれらは単にユーザーのためだけではなく、内部むけに報告や分析をするのにも使える。もしあなたの競合者がこの投資で利益を享受する心配があるのなら、幾つかの機能やデータを内部にのみ使用できるよう制限すればよい。

過去に取り組んだ仕事から創造することができる

データプロジェクトに取り組んでいるとき、しばしば再利用したりアップデートしたりできるコードを書くことになるだろう。すると次のプロジェクトは半分の時間しかかからないかもしれない。というのもあなたは何をすると良いのか、そして何をしないほうが良いのかをすでに知っているし、さらに基盤となる細々したコードの小片をもっているからだ。

データジャーナリズムは採算がとれる

データ駆動型のプロジェクトはこれまでの伝統的なマーケティング・キャンペーンより安価である。ウェブ系報道機関というのはたいてい検索エンジン最適化(SEO)や検索エンジン・マーケティング(SEM)のようなものに投資しがちである。しかし、完遂されたデータ・プロジェクトというのは実は通常大量のクリック数とバズを生み出し、ネット上を急速に伝播する傾向にある。しかも、パブリッシャーはSEMを使ってリンクやクリックで注意を喚起するよりも少ないお金でこれらを実現できるのだ。

私たちの仕事は他の新興メディア企業と特段違うわけではない。つまり私たちは報道機関に向けてアプリケーションやサービスを提供しているにすぎないのである。ただし、私たちが何よりもまず自分たちのことジャーナリストであると考えてきた点では他の新興メディアとは違うかもしれない。私たちは、ニュースや記事を提供することが自分たちの仕事であると考えている。ただしそれは映像や文章ではなくコードによって提供されるのだ。なので私たちがデータジャーナリズムについて議論するとき、私たちはテクノロジー、ソフトウェア、デバイス(デジタル機器)について、そしてそれらを用いてどうやってニュースを伝えるかについて議論することになるのである。

一つ例をあげよう。私たちはちょうどあるアプリケーション作成の仕事を終えたところであった。そのアプリケーションはドイツの鉄道サイトからリアルタイムデータをスクレイピングして引っ張ってくるものである。これを使って、私たちは南ドイツ新聞に向けてリアルタイムで長距離列車の遅延を示すインタラクティブな 電車モニターを開発することができた。このアプリケーションのデータはおよそ1分ごとにアップデートされ、そのデータを取得するためのAPIも用意されている。私たちは数ヶ月前にこれを開始し、これまで毎時間ごとに増幅していく巨大なデータセットを収集した。今では、数百から数千のデータ列になっている。このプロジェクトによってユーザーはリアルタイムデータを検索することができるようになり、数ヶ月間のアーカイブを調査することも可能になった。そして最終的には、私たちが描いているストーリーはユーザーの個々の活動によって顕著なほど明確になってきた。

伝統的なジャーナリズムでは、放送メディアや活字メディアのもつ一本調子な性質のために、話の出発点、終着点そしてストーリーの長さやその筋・方向性などを考慮する必要がある。データ・ジャーナリズムはこの点では大きく異なる。確かに出発点はある。まず人々はウェブサイトに訪問し、次にインターフェイスの感じを掴む。しかし、その後はストーリーは彼らに委ねられるのである。彼らは1分間しか滞在しないかもしれないし、30分滞在するかもしれないのだ。

データジャーナリストとしての私たちの仕事はフレームワークの提供とデータジャーナリズムのための環境提供である。コーディングや一部のデータマネジメントはもちろん、経験を設計するクレバーな方法を考える必要がある。ユーザー体験(UX)は主にグラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)から得られる。最後に、これは作るか中断するか決断する箇所である。刺激的なデータセットを扱っているバックグラウンドの中で最高のコードは活躍する。しかし、フロント部分がダメであると、バックグラウンドで素晴らしいコードが動いていることなど誰も気にしないのである。

まだ経験の中で学ばなければいけないことがある。しかし、幸運なことに、ゲーム産業が存在する。ゲーム産業はデジタル物語、生態系、およびインタフェースに関して数十年にわたって革新を続けている。私たちがデータ・ジャーナリズムのアプリケーションを開発する時、数々のゲームのデザインがどのような働きをしているのか、ゲームの中でどのようにストーリーが語られているかを注意深く観察するべきである。どうしてテトリスのようなカジュアル・ゲームはあんなに面白いのだろうか?そして、Grand Theft AutoやSkyrimのような箱庭ゲームの、自由に歩き回れる世界をあんなにも素晴らしくしている要素はなんだろうか?

私たちは今一度ここでデータ・ジャーナリズムに関して考えるところにきている。数年間で、データ。ジャーナリズムのワークフローはごく自然にニューズルームの中へと組み込まれるだろう。なぜならば、ニュース・ウェブ・サイトは変わらねばならないからである。公的に利用可能なデータの総計は増え続けるだろう。しかし、幸運なことに、新たなテクノロジーはストーリーを描くための新たな方法を見つけることを可能にしてくれ続けるだろう。それらのストーリーには、データによって書かれるもので、多くのアプリケーションやサービスはジャーナリスティックな特性を帯びてくるだろう。興味深い質問がある。それは、どのような戦略がニューズルームのこれらのプロセスが促進することを発展させるのだろうかというものだ。チームを作るのか、はたまたデータ・ジャーナリストを既存のニューズルームに組み込むのか。R&D部門のような存在にするのか、会社所属のスタートアップのようなものにするのか。もしくは外部企業に一部を委託するのか。私たちは未だに始まりにいるので、時間のみがその疑問に答えてくれるだろう。

Lorenz Matzat, OpenDataCity